ここ数年、日本には固定観念にとらわれない働き方を推進する企業が出てきました。例えばロート製薬は2016年から副業を解禁し、ヤフーでは2017年から週休3日制を導入しています。働き方の変化に加え、もう一つ、特徴的な動きが見受けられます。ダイバーシティです。LIXILグループの元副社長であり、戦略人事の第一人者といわれる八木洋介氏は、盛んに「今の日本の企業に足りないものはダイバーシティである」とおっしゃっています。同じ考えを持つ企業のトップはほかにも大勢いらっしゃいます。
このように、働き方改革やダイバーシティ、それからウィル・シードさんのプログラムにあるような「社員を社外に出して成長のために新しい経験をさせる」動きが台頭しています。一見すると無関係に感じられるかもしれませんが、経営学的視点から見ると、実は目的の根本は同じところにあります。それは、日本の企業にイノベーションが求められているということです。
その理由は、時代を少しさかのぼると見えてきます。80年代の経営学の基礎をつくった経営学者マイケル・ポーター氏は、数多くの競争戦略手法を打ち出し、さまざまな企業で応用されてきました。このポーターの考え方の軸の一つに「持続的な競争優位を目指す」というものがあります。10年間といったように、ある程度の長い期間にわたって業界内で良いポジションを取り、安定して高いパフォーマンスを上げられる企業こそがすぐれた企業であることを前提にした理論です。
ところが、2000年代に入り、テキサス大学のティモシー・ルエフリ教授が統計分析した結果、一定期間、競争優位を維持できている企業は全体の3%程度にすぎなかった。これはアメリカの話ですが、日本でも同じことが言えるでしょう。ポーターの理論はたしかに正しいですし、理想的でもありますが、実現はほぼ不可能だったのです。
一方、競争優位を維持できずとも“勝っている”企業もある。そうした企業にはどのような特徴があるのか、これも統計分析から見えてきました。業績が伸び悩んだら新しい手を打ち、3、4年は一定の業績を残す。当然、同業他社や新規参入企業が登場しますから、独壇場とはいかなくなり、その後はどうしても落ちてしまう。ただし、落ちたときに再び新たな一手を投じて、ぐっと踏みとどまる。ポーターの考えにあったように、長期にわたって大きな波に乗り続けるのでなく、短いスパンの競争優位を鎖のようにつないでいた。まさにこうした理由から、企業には小さな波を繰り返すイノベーションが必要なのです。
イノベーションといっても、何もApple社やGoogle社のような大きなものでなくても良い。規模はどうであれ、会社が新しいことに取り組み、前に進もうとする姿勢が大切です。すべてのビジネスパーソンにもっと身近なところ――、新規事業や新規プロジェクト、ひいては日常業務の改善、そうしたレベルも含めてイノベーションであるととらえてほしいと私は考えています。
今は競争が激化し、変化が著しい時代です。国内のみならず、海外の企業とも戦わねばなりません。人工知能やIoTといった新しい技術も進化を遂げ、なおさら先読みできません。答えはすぐに見つからないかもしれないけれど、何もせずにいると、会社がなくなってしまう可能性があるわけです。少しでも新しいことをして、一時的な競争優位をつないでいかなければならない。そのために、イノベーションが欠かせません。
企業は、人でできています。言わずもがな、イノベーションを起こしたり、経営戦略を実現させたりするのは人です。経営戦略と人事はひもづいていなければなりません。つまり、“勝てる”企業になるには、戦略人事も重要です。
しかし、私の個人的な感覚で申しますと、大手企業でも人事部門と経営層、もしくは企画部門と間でスムーズな情報交換ができていないがために、毎年、同じようなタイプの人財を採用するところが見受けられます。そうした企業は、正直、これからさらに苦しくなることでしょう。経営戦略を深く理解した人事がされていないため、企業が成長する望みも薄くなるからです。
加えて、経営戦略というものは、ほぼイノベーションとイコールになる。先にも申したように、一時的な競争優位を奪取する――、新しい手をどんどん打つ、つまり、イノベーションを起こせる会社でなければ存続できない時代だからです。経営戦略がイノベーションになるということは、イノベーションを生み出せすための人事が求められるようになります。
そもそも、イノベーションとは何か。イノベーションを起こす第一歩は、新しい知、つまり、アイデアを生み出すことです。そのときに必要となるのは、今ある既存の知と、別の既存の知の組み合わせ。ゼロを幾度となく掛けてもゼロにしかならないように、何もないところからアイデアは生み出せませんから。
知を組み合わせることだけに注力すればいいかといえば、それも違います。認知科学の観点からいうと、人間は自分の目の前にあるものだけを組み合わせようとする傾向があります。同じ業界、同じ会社に何十年もいるとなれば、新しい知との組み合わせはいつしか果ててしまう。イノベーションは〈知の探索〉から生まれます。もしも自分が所属する企業でイノベーションが足りていないのであれば、〈知の探索〉が足りていないということです。
そういうところからは、もうイノベーションは出てこない。前進するには、目の前にある知でなく、なるべく自分から離れた遠くにある知を幅広く探索し、今すでに持っている知と新しく組み合わせることが何よりも重要です。
過去にもそれを実証する例がいくつもあります。例えば、トヨタ生産システム。これはアメリカのスーパーマーケットのフォーマットに着想して生まれました。TSUTAYAのレンタルサービスは意外なビジネスがヒントになっています。数千円でソフトを仕入れ、数日間ほど貸し出して仕入れ値の何割かを得るというモデルは、消費者金融から着想を得ているのです。遠く離れた知を探索し、組み合わせることがどれだけの可能性を秘めているかがわかります。